琥珀色の記憶と朱色の風 冬の夜気は、肺の奥まで澄み渡らせるような冷たさを持っていた。見上げれば、都会の空はわずかに白んでいて、遠くの街灯がまたたいている。私はコートの襟を立て、馴染みの友人たちが集まる広場へと足を向けた。 そこは少し不思議な場所だった。広場の中央には、赤く艶やかな海老が鈴なりになったような奇妙な造形の樹が立っていて、その枝の間を、透明な球体に閉じ込められた金魚たちが、光を反射しながらゆらゆらと泳いでいる。前衛的なアートのようでもあり、どこか懐かしいお祭りの夜のようでもある。今夜はそこに、十九人もの顔ぶれが集まっていた。 ねえ、これ見て。大きすぎない? 誰かが広げたメニューの写真には、七十センチはあろうかという巨大なピザが映し出されていた。それをきっかけに、会話は堰を切ったように食の話題へと流れ出す。濃厚な豆乳の香りが漂ってきそうなスープの話、スパイスの効いたカレー、そして表面に良質な脂が浮いた、喉を焼くような熱いラーメン。 日本人は、どうしてこうも冷たさにこだわるんだろうね。 グラスの中の飲み物を眺めながら、一人が笑った。ビールの喉越し、キンキンに冷えた冷酒。それに対して、ヨーロッパの古い街角で飲むような、体温をじんわりと上げる温かなワインの文化。どちらが優れているというわけではない。ただ、私たちが何を「心地よい」と感じるかの根源に触れるような、そんな熱を帯びた議論が心地よかった。 ふとした沈黙の合間に、私は自分の手元を見つめた。今日、机の引き出しから取り出した十年前のパスポート。その有効期限が、もうすぐ切れようとしている。 十年前、私はどんな自分になりたいと願って、このパスポートを申請したのだったか。当時の手帳の隅に書き留めた、今はもう少し気恥ずかしいくらいの抱負や理想。それらが、指先に残る古い紙の感触を通して蘇ってくる。十年という月日は、数字で見るよりもずっと重く、そして今の私を形作るための大切な助走期間だったのだと感じる。 話題は、これからの旅の計画へと移っていった。 十月の終わりの予定、伊丹から飛び立つ空路の記憶。そして、誰かがスマートフォンの画面を皆に見えるように掲げた。 あ、首里城だ。 画面の中には、鮮やかな朱色が戻りつつある首里城の姿があった。数年前の悲しいニュースを乗り越え、一歩ずつ、かつての荘厳さを取り戻していく木組みの骨格。それはただの建物の復元ではなく、人々の祈りや希望が形になっていくプロセスそのもののようにも見えた。 沖縄は、今二十三度もあるらしいよ。 その言葉に、誰かが小さくため息をついた。今、私たちの頬を撫でている冷たい冬の風の向こう側に、確かにその暖かさは存在している。画面を上手く覗き込めない友人たちのために、誰かがその色の鮮やかさを、風の匂いを、言葉を尽くして語り始める。見えないものを、言葉の温もりで補おうとするその優しさが、広場の空気をいっそう和らげていった。 再び立ち上がる首里城の姿に、私は静かな生命力を感じていた。失われても、また作り直すことができる。形を変えながらも、本質は繋がっていく。それは私の十年間とも、どこかで共鳴しているような気がした。 夜も更け、一人、また一人と「おやすみ」の言葉を残して去っていく。 賑やかだった広場に静寂が戻り始め、私は最後にもう一度だけ、海老の樹と金魚の灯りを見上げた。 明日もまた、少しだけ新しい自分になれるだろうか。 冬の夜の冷たさは相変わらずだったが、胸の奥には、南国の風が運んできたような、かすかな熱が残っていた。私は軽くなった足取りで、家路へと歩き出した。