光の粒子の境界線 視界のすべてが、過剰なまでの輝きに塗りつぶされていた。 仮想空間に作られたクリスマス・ワールド。そこには重力に縛られないイルミネーションが、まるで冬の星座を地上にぶちまけたようにまたたいている。 僕はゆっくりと、その光の海を歩いた。雪を踏みしめる音だけが、デジタルな静寂の中に規則正しく響く。ふと、友人の一人が窓枠の端に器用に腰をかけるのを見て、僕も真似をしてみた。 「そこ、ちょっとしたコツがいるんだよ」 ヘッドセット越しに届く声は、すぐ隣にいるかのように親密だ。仮想の窓辺に重心を預けると、物理演算の気まぐれか、手に持っていた小物が壁をすり抜けて夜空の彼方へと消えていった。僕たちはそれを見て、子供のように声を上げて笑った。夏の終わりの蒸し暑さも、秋の物悲しい風も、いつの間にかこの光の渦に飲み込まれてしまったらしい。 「次はこれ、行ってみようか」 誰かが提案したのは、感情の機微をアルファベットの階級で当てるゲームだった。 提示されたお題は「不機嫌」や「寝坊した朝」。それを声のトーンだけで、AからHまでのどの強度なのかを表現し、当てる。 「……おはよう」 友人の一人が、低く、濁った声を出す。 僕は耳を澄ませた。ただの「音」としてではなく、その背後にあるはずの、見えない表情を探る。少しだけ眉間に皺を寄せ、視線は斜め下、シーツの感触をまだ指先に残しているような……そんな情景を声から逆算する。 「今の、Dくらい? 少しだけ、自分に対して言い訳を探してる感じがした」 「正解。すごいな、よく分かったね」 それはまるで、鈍りかけた心の輪郭を研ぎ澄ます「修行」のようだった。デジタルな空間だからこそ、僕たちは肉体の不在を埋めるように、相手の声に含まれた微かな熱量に敏感になる。 話題はいつの間にか、現実の食卓へと移っていた。 「今度のパーティー、チキンを五キロ焼くのはどうかな」 「豪快すぎるだろ」 笑い声が混じる。話題はそこから、六月に訪れた神戸・布引ハーブ園の鮮やかな緑や、先日食べた少し冷えた天ぷらの残念な食感へと飛躍していく。 「金子半之助の天ぷらなら、冷めてもそれなりの矜持があるんだけどね」 そんな他愛もない批評をしながら、僕は手元にある新しいスマートフォン、Galaxy Z Fold4のヒンジをそっと折り曲げた。指先に伝わる、精密な機械が噛み合うわずかな抵抗感。この小さな金属の塊の中に、僕たちの会話も、遠い街の地図も、未来への期待もすべて収まっている。 「ねえ、いつか本当に森を開拓して住むのも悪くないと思わない?」 誰かがふと言った。 最新のスマートグラスが視界を拡張し、高輪ゲートウェイやウーブン・シティのような実験都市が日常になる未来。その一方で、僕たちは山梨の深い森や、土の匂いがする場所を求めている。 高度な技術によって便利さを極めた先に待っているのは、結局のところ、大切な誰かと静かな空気を吸うという、あまりに原始的で、だからこそ贅沢な時間なのかもしれない。 ヘッドセットを外すと、部屋にはしんと冷えた現実の冬の空気が満ちていた。 窓の外には、ワールドのイルミネーションのような派手さはないけれど、街灯が一つだけぽつんと雪道を照らしている。 デバイスを閉じ、僕は深く息を吐いた。 明日の朝は、今日よりもうまく「おはよう」が言える気がする。仮想の光に目を焼かれた後の暗闇は、不思議と優しく、僕の心をごく自然な眠りへと誘っていった。
