旅路の思索 冬の澄んだ空気は、吐く息を白く染め上げながらも、頬には心地よい冷たさだった。窓の外には雲ひとつない青空が広がり、遠くの街並みが陽光にきらめいている。私はマグカップの温かさを両手に感じながら、ソファに深く身を沈めていた。年末が近づき、街はせわしなくクリスマスの飾り付けに彩られ始めている。例年ならこの時期、忘年会や新年会の誘いがちらほらと届き始める頃だ。 「今年は、どうしようかな」 独りごちて、私はコーヒーを一口啜った。苦味が舌に広がり、ゆっくりと喉を通り過ぎる。社交の場が嫌いなわけではない。ただ、どうも私は、人との交流の場でさえ、つい「効率」や「成果」を求めてしまうきらいがある。大学生の頃、飲み会でのゲームで「勝ちたがる」自分に気づき、それが純粋に場を楽しむ妨げになっていると感じた記憶が蘇る。あの時の、居心地の悪さ。それは、周囲の笑顔の中で、自分だけがどこか違うベクトルを向いているような、微かな孤独感にも似た感情だった。無理をしてまで、あの感覚を味わう必要はない。 年末年始は、もう少し自分の時間を大切にしよう。そう決めて、私はスマートフォンを手に取った。ふと、旅の計画でも立ててみようかと思ったのだ。都会の喧騒から離れて、静かに心を休められる場所。それが、今の私には何よりも必要だった。 画面をスクロールすると、色とりどりの旅行先の写真が目に飛び込んでくる。私の指は、自然と山間部や温泉地の特集記事をタップしていた。きらびやかな都会の夜景よりも、木々の揺れる音や、遠くで川のせせらぎが聞こえるような風景に、私はいつも強く惹かれる。 去年の夏、神戸を訪れた時のことを思い出す。港町の風情と、何よりも食文化の豊かさに心から感動した。特に、あの地で食べたパンと米の美味しさといったら。朝食のトーストは、外はカリッと、中はふんわりと。夕食で頂いたご飯は、一粒一粒が立つような瑞々しさで、それだけでご馳走だった。けれど、ショッピング街へと足を踏み入れた途端、圧倒されたことを覚えている。視界いっぱいに広がる商品、耳に飛び込んでくる様々な店舗の呼び込み、人の波。あれは、私の五感には少し刺激が強すぎた。情報過多な空間に、脳が処理しきれない悲鳴を上げていたのかもしれない。 今年の春には、友人のプロリンさんと、京都と奈良の山を登ったっけ。新緑の中を、足元に気をつけながらゆっくりと歩く。鳥のさえずりだけが響く静かな山道で、プロリンさんが息を切らしながら「あとどれくらい?」と訊ねてきた声が、今も耳に残っている。その時の、全身を巡る清々しさ。身体は疲れても、心は研ぎ澄まされるような感覚だった。 いくつかの候補地を眺めているうちに、一枚の写真で指が止まった。京都にある「ホテルハーベスト京都」の内装だ。木目を基調としたロビーに、柔らかな間接照明が温かく灯っている。窓の外には、手入れの行き届いた坪庭が広がり、そこに降る木漏れ日が、静かに時を刻むのを教えてくれるかのようだ。モダンな洗練さと、和の落ち着きが見事に調和している。 「これは、美しいな……」 思わず声が漏れた。観光地としての京都の賑やかさも知っているが、このホテルなら、きっと喧騒を忘れさせてくれるだろう。そういえば、最近は中国人観光客が少し落ち着いていると耳にした。今が、静かな京都を味わう絶好の機会なのかもしれない。 私はすっかりそのホテルの魅力に取り憑かれ、すぐにフライトスケジュールを確認し始めた。中部国際空港(NGO)からの便を検索する。エアアジアのサイトを開き、時間を比較する。朝8時発の便は少し安いが、到着が昼過ぎになる。旅先での時間を最大限に活用したい私にとっては、少し遅すぎる。7時発の便なら、午前中には目的地に着ける。やはり、こちらの方が効率的だ。小さな画面の中で数字と睨めっこをするのは、まるで複雑なパズルを解いているようで、いつの間にか熱中していた。 先日、共通の友人が山形への旅行を提案してきたことを思い出した。年末のクリスマス時期に、新幹線で雪深い山形へ。聞くだに「過酷」という言葉が浮かぶ。新幹線の予約も難しいだろうし、冬の山形といえば、時に熊の出没もニュースになる。友人の提案は、いつも魅力的で冒険心に溢れているが、私の効率と安全を重んじる思考回路は、どうしても現実的なリスクを評価してしまう。 「クリスマスに山形か……うーん」 いくら美しい雪景色が待っているとしても、その労力とリスクを天秤にかけると、首を傾げざるを得ない。 スマホの画面には、煌びやかなホテルの内装が映し出されたままだ。私はその写真を指でなぞる。柔らかな木肌の感触、静寂の中に響くかすかな水の音、そして、そこから見える冬の庭園。具体的に旅の情